様々な来客、様々な依頼の手紙、上っ面ばかりの言葉。そんなものばかりに囲まれている。忙殺されている。
全て分かっていたはずだ。もともと自分が女優を生涯の仕事にするつもりなどなく、いつか祖父や父の仕事を受け継ぐことを。いや、もしかしたらそうなれたらいいなと思っていたかもしれない、親だって大批判はしなかったと思う(よっぽど帝国華撃団に入ることの方が親も止めただろう)。
それでも自分がこのような選択をしたのは、すべてを含んでいるから、そう言えるのかもしれない。幼い頃から携わってきた人型蒸気の開発、帝国歌劇団に入ってからも光武とともに戦い続けていた。自分の人生はある意味人型蒸気の歴史だ。自分がいたおかげで三食すみれも完成したし、娘の自分が帝国華撃団にいなければ神崎重工はこれほどまで真剣に人型蒸気の開発を行わなかっただろう。そんな自分と共に、成長しつづけた光武。
その未来を見届けるのは、自分以外であっていいはずがない。
そう、思ったからなのかもしれない。
ふと、デスクに立てた写真立てにいつも目を向けてしまう。花組全員がレビュウ服を着て、中央にすみれが立っている。そしてモギリ服の大神も。たしかこれはすみれが引退した公演千秋楽後の楽屋で撮ったものだ。悲しくないはずがない、寂しくないはずがない。
それなのに中央に移るすみれが笑顔なのは、そんな気持ちをくれた花組に最大の自分の引き際をプレゼントしてくれたから。花組に、感謝の気持ちをこめていたから。
そんな気持ちすらも、既に遠い思い出だ。あのころの自分は輝いていた、などという言葉はよく聞くが、まさにそれかもしれない。
あのころは、何もかもが幸せだった。今が幸せではないという意味ではないけれど。
姿見が映し出す自分はあの頃に比べて何かが足りない。髪の艶も、肌の色も、何も変わってやいない。たぶん違うのは、あの目の輝き。花組といたころの、あの輝き。
さくらの未熟な演技に口を出すことも、マリアと一緒にお茶を飲むのも、アイリスと欧州のファッションについて話すのも、紅蘭と光武の開発について話すのも、織姫とピアノやオペラについて話すのも、レニとフントのことについて話すのも、そして…
カンナと、くだらないことで痴話喧嘩をして。みんなに止められて。
そんな日々が懐かしい。今の自分は、あの頃の自分と同じだろうか。
そう思うと、ついキネマトロンに手をのばしてしまう。
そんな手をぎゅっと握って止める。なにも、後悔などしていない…!!
先日大神に書いた手紙はもう届いただろうか?
いろいろと、大神に話したいことがある。
戻りたいとそう思ってしまうから、今まであえて接触を途絶えさせてきた。必要最低限の連絡しかしていない。
それでもどうしても伝えたいことがあった。
聞きたいことがあった。
自分はそれを聞かないと…このまま、死ぬことなどできない。
思い立って取り出した便箋は、藤色の便箋。自分の名前のすみれの色。そして自分が乗っていた光武の色。そんな自分がいたことを忘れてほしくない、そう思って選んだのかもしれない。そんなことは、送ってしまった今となってはどうしようもない話だ。
今だから、見えること。
場所を変え、見ることによって気づいたことがある。
それを伝えたい。それを伝えたいだけ。
それでも…彼が読んでからがもどかしい。きっと今日届いたであろう手紙は…
どうすればいいのか分からない。
今度こそ、キネマトロンに伸びた手は、止められることはなかった。
「あいよ!カンナだっ…って、なんだよ、すみれか」
「な、なんだよはございませんこと!?折っっっ角カンナさんのために忙しい神崎すみれが通信をして差し上げたのですわよ!」
「はいはい、悪うござんしたね!」
つながるまでの砂嵐はとても不安だ。出ないかもしれない、もしかして出たくないのかもしれない。むしろ、出たところで自分だとわかるとすぐに顔を顰めて切ってしまうかもしれない。
その不安をいつも拭ってくれる。その陽気な笑顔で、言葉で。
そこにいるだけで痴話喧嘩。目が合うだけで試合開始のゴングが鳴り、いつも試合は中断。そんな関係が、とても気持ちが良かった。
「そういえば今は海神別荘をおやりになってるんですってね。まーたカンナさんはあのアホ面したお下品な役をおやりになって?」
「あ、アホ面はねぇだろ!!…あたいの役は赤鮫っていう名前だってあるんだからさ!」
確か部屋のどこかに海神別荘の台本もある。あの綺麗な紫色の着物はまだ大帝国劇場のどこかにあるはずだ。
「そういえば、わたくしがやっていた…」
「ああ、あの役か?あれは今かえでさんがやってるよ。かえでさんのやる腰元も良いって評判だぜ」
「あーら、それでも元トッッッップスタアの神崎すみれには遠く及ばなくてよ!」
「ホント、すみれってかわんねえな…」
そういうカンナの表情は軽蔑するようなものではなく、花組だった頃の自分に向けられていたものと同じようにとても温かい。その瞳が、とてもうれしかった。
「最近皆さんにお変りはなくて?少し前までは帝劇の話はよく耳にいたしましたけど、最近外部の者と話す機会もなかなかありませんから帝劇のことは全然知りませんの」
「特に変わってないな、あ、ただ…」
「ただ?」
今までの明るい表情が打って変わって、暗くなる。
「最近マリアが落ち込んでたな。理由を聞いたら霊力が落ちてきたかもしれない、って…」
「マリアさんが…?」
カンナがすみれに言うということは、きっと何か裏付けがあるから言うことだ。彼女を最大限に心配をかけさせないように。もしかしたらカンナもマリアの霊力の低下を感じていたのかもしれない。
自分も帝国華撃団を辞めた理由は霊力の低下である。小さい頃から思えば酷使しつづけてきた霊力が底を尽くのは目に見えていたことだ。そういえば最近結成された紐育華撃団の副司令になったラチェットも霊力を失ったという話も聞いた覚えがある。
20を超えると、もしかしたら誰しもがそんなことに直面するのかもしれない。
降魔と戦うことによって放出される霊力は甚大である。すべて使い果たすのは当り前、イコール、帝国華撃団の全員に、いつかその日はやってくる。
この目の前の女性にも?
いつもだれにでも明るい言葉をかけ元気づけているこの人にも?
まさか。そんな。
彼女はどこに行ってしまうのだろう。
霊力を失って、もしも帝国華撃団から退かなければいけなくなってしまったら。
自分と違って家もない彼女は、何をするのだろう。
そう思うと、怒鳴りつけるように声を荒立ててしか言えないのだ。
大切な仲間である、カンナに。大切だから、こそ。
「あなたはどう思ってらっしゃるの!!わたくしのようになるのは分かりきっていること…カンナさんだって分かってらっしゃるでしょう…いつか、カンナさんにだって霊力がなくなってしまうことくらい…」
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